イメージCM ギャッツビーやら 資生堂やら

ギャッツビー。キムタクが沢山の女性の手に揉みくちゃにされながらギャッツビー♪と歌うCMなんだけど、ただのImagery広告かと思ったら、そうじゃないようだ。どうやら「ギャッツビーを使えば、ヘアスタイルをどんな形にでも自由にアレンジすることができる」というベネフィットを伝えたかったと伝え聞く。女性の手に塗られているマニキュアの色が全て違うのもそういう点のこだわりを表現したつもり、とか。 http://www.gatsby.jp/tv/index.html

いやー、便益伝えられてないんじゃないでしょうか。ギャッツビー使ったら髪がどうなった、という便益の結果を説明するショットもないし、なんで他の整髪剤じゃなくてギャッツビーがその便益をもたらすことができるかの理由も提示されてないし、駄作CMじゃない?と言いたい所です。洗剤などの雑貨カテゴリのCMと比較すると差が顕著。

でもいいんです。多分ギャッツビー普通に売れてるよね。どのみちCMやってる男性用スタイリング剤で有名なのここくらいだし。コンビニ行っても一番棚を取れてるのはマンダムでしょう。昔から一風変わったキャンペーンやCMをやってて、意識しなくてもマンダムのCMはつい見ちゃうな〜と思わせておく位がちょうどいいんじゃないか。3強がCMを打ち合う洗剤の競争環境と男性用スタイリング剤の競争環境は違う。

いつも見てるマンダムのCMがいきなり「時間がない朝のヘアスタイリングは大変。 ハネが思い通りにできなかったり、何度も直してるうちに変になったり。『でも朝ちゃんとキメておかないと後から直せないし』なんて思ってませんか?そこでギャッツビー ムービングヘアワックス新登場! 柔軟に動く新フレックスシリコーン(特許)配合だから、いつでもリスタイル思いのまま! これでもう朝に固めなくても、一日中ゆるキメスタイルが楽しめますね。ギャッツビー ムービングヘアワックス!(ジングル)」(28秒) なんて言い出したらびびるよ。バンテリンかよhttp://www.kowa.co.jp/g/break/04/cm/bancl_nb.asx、と。

とは言え、競合が急に頑張り始めた時にざっくりブランドスイッチされないようにもうちょっと便益が分かるようにするとか、「マンダムは自分をよくわかってくれてるブランドだ」と思わせる要素がもう少し入ってもいいとは思います。

特定製品の便益については深く言及しなくても、イメージを上げるためのCMとして最近いいなと思ったのは資生堂のCM 「新しい私になって」。
http://www3.stream.co.jp/web05/estation/shiseido/cm/060828koukoku90.asx

とても素敵だ。カラーでもスキンケアでも、化粧って華々しい世界のイメージがあるけど、それなのに「失恋」という所にもってきた着眼点がまずすばらしい。コンセプトの段階から強さが確定していたようなものだと思う。失恋したどん底にいる自分まで癒してくれてしまう化粧品、というストーリー。塩がかかることでスイカの甘さが引き立つのと一緒で、ある種トーチャーテストのパターン。以前のエントリでも言及したが、トーチャーテストパターンを採用する場合、一番大事なのはどの状況を"トーチャー"として採用するかだ。その点「失恋」は自分との関連性を理解されやすいし、肌の手入れをすることで生まれ変わり内外の美しさを回復するというストーリーにしっくりくるという点で優れている。
企業CMなのだから、Tsubaki http://www.shiseido.co.jp/tsubaki/よりもMAQuillAGE http://www.shiseido.co.jp/mq/index.htmより華々しいものを作らなきゃ! というプレッシャーもあったはずだろうに、こんなコンセプトどうやって決めたのだろうか。コンセプトボードみたいにして文章消費者に見せたところで、正しく評価されない種類の概念だと思うので、となればCreative担当者が直感で決めたのだろうか。それか、あなたにとって化粧品はなんですか、みたいなグループインタビューなどをして、そこからのインサイトで良さそうな物をピックアップしたというのもありうる線だろう。それを受け入れた経営陣も立派だ。

コンセプトの具現化も実によかった。シンプルな洗面台。外からの光が入るはずなのに、光が明るすぎない。顔を洗って、涙を落としたはずなのに、また泣いちゃうんだよね。顔を洗っても心の痛みは流れてくれない。ここの部分の演技が掛け値なく最高。これ以上作れないと思う。で、タオルで顔を拭いたのにまた顔を洗う。化粧台の前に座って化粧水をつける。いつもしているルーティーンワークなんだけど、心を落ち着ける儀式の水準にまで昇華されていることが伝えられている。顔を洗っても心までは癒されなかったけど、化粧水は心を癒してくれる。化粧水で本当に癒されているのは、傷ついた心なのかもしれない、ということだ。文章にしてみると、化粧水で悲しさが流れるんなら世の中苦労ないよアンタ、と思われそうな展開だけど、ここはBGMが支えている。「忘れます。忘れます。・・・新しい私になって。」という歌詞がちょうどここにかぶる。新しい自分に生まれ変わろうとしているのだよね、と素直に思える。

TsubakiとMAQuillAGEはマスセグメントに幅広く好かれていると言えば聞こえはいいが、意地悪な言い方をすれば大衆迎合的で、資生堂本来のプレミアム感が棄損された、と感じる人もいる。そんな中だからこそ、企業CMを、しかも90秒枠(高価)で打ったというのがビジネス上の背景なのではないかなと憶測するのだけど、企業イメージを上げて、従来の資生堂プレミアムを評価していた消費者との心理的なボンディングを回復するという目的は十分に達成されたのではないでしょうか。ここで少しでも特定製品の便益への言及があったら、とたんに商売くさい、大衆路線に企業ブランドが堕されていたと思う。腹の据わり方が天晴れ。資生堂見直しました。

だらだら書いたのでまとめます。

ギャッツビーのCMは本来製品便益の訴求を意図したが、便益の描写を欠いている事からその目的の達成に至っていないように思われるが、男性用スタイリング剤市場での緩慢な競争環境を鑑みるに、TVCMでの便益訴求の巧拙が大きくビジネス結果を左右するとは考えられず、従ってこれがビジネス上看過出来ない機会損失をもたらしているとは考えられない。
ただ、潜在的な競争激化を先制するべきとの態度を採る場合、ブランドスイッチの脅威を先制抑止するため、既存ユーザーが持つブランドイメージを破壊しない範囲で、便益訴求、及び、ブランドイメージの向上策を推進するべきであると言える。

一方資生堂の企業CMは、TsubakiとMAQuillAGEの発売による企業ブランドの大衆化への危機に対応し、プレミアムイメージの回復を意図し、その目的を成功裏に達成したと思われる優良なCMであった。
本CMの成功をもたらしたと考えられる要因を2点指摘する。
1)コンセプトの強さ: 「失恋」による痛みを乗り越え、肌の手入れによって内外の美しさを回復するというトーチャーテストパターンのストーリーを採用しているが、「失恋」という状況設定は消費者にとって容易に想像され、かつ肌の手入れという行為の価値を高く評価させる設定であった。
2)エクセキューションの巧妙さ: 場面設定、演技、音楽が訴求したいストーリーを中心に調整されて構成されていた。また、便益についての言及を挿入する誘惑を排除し、エクセキューションの質の高さを保った。

定量データを根拠として使っていないので、自分や自分の見聞した域を脱してませんが、まあギャッツビーと資生堂のCMを見て心に移りゆく由無し事をそこはかとなく書きつけしものなり、ということでご容赦を。