鼎泰豊 Dintaifung(ディンタイフォン) 台北本店

言わずと知れた小龍包のお店。台北にある本店は本当にうまい。
世界のベストレストラン10にも選ばれた程。
まだ歩きだしたばかりの求道者である小生が鼎泰豊に点数をつけるなど、とても恐れ多い事である。しかし敢えて点数をもって小生のAppreciationを表現するならば、それは5点中5点満点以外には有り得ない。

鼎泰豊は何と言っても小龍包。
30分以内に皮を包んだものを、注文が入ってから蒸すというこだわり。
運ばれてきた小龍包は、中の具が半透明に美しく透けて見えて、目を楽しませてくれる。
皮をねじって閉じた部分は、捩じり初めと終わりが分からないほど見事な幾何学模様が形成されている。

皮が薄すぎると、箸で持ち上げた時に命のスープがこぼれてしまう。
しかし厚くし過ぎると具の美しさ引き立たないし、なにより小麦の味が強すぎて素材の味わいが損なわれる。また、皮をねじって閉じた部分は、皮が厚いと硬くなりがちであり、食感を悪くしてしまう。
まばゆい光を放つが如く目前に佇むは、厚さと薄さの中庸を精緻に射抜いた芸術作品なのである。

醤油とラー油と酢に生姜を加えたタレをレンゲに用意する。
そのレンゲに箸で小龍包をゆっくりと乗せる。この時に皮を破ってスープをこぼしてはいけない。
小龍包は固体の状態で運ばれてくるが、その実スープに感動の神髄があり、また、小龍包全体に占める液体の容積が大きいことから、まさにスープ料理なのである。小龍包にとってスープは本質。スープの無い小龍包は魂の無い肉体に等しい。そのスープをこぼす事は許されない。
最高の小龍包を食するためには、食する側もその格に応じた技術と集中力を備える必要がある。
ご安心願いたい。それ相応の技術と集中力を以てすれば、鼎泰豊の小龍包は破れないはずである。

レンゲに取った小龍包はまだ熱く、タレに半身を委ねて上気しているはずだ。
ここからの食べ方は2通りある。
1つは、皮を破ってタレをレンゲの中にだし、口で吹いてあら熱を取ってから食べる方法。
もう1つは、皮を破らないままあら熱を取り、口の中に運んでから皮を破る方法である。

食べ方は好き好きであるが、少なくともその食卓で食べる1つ目の小龍包は、後者の食べ方、即ち口の中に運んでから皮を破る方法にて食することを推奨したい。
口の中で皮を破ると、十分にあら熱を取っていなかった場合に火傷してしまうリスクはあるのだが、
その欠点を補って余りある芳醇な香りが、後者の食べ方にはあるからである。
1つめの小龍包であれば、その香りはスープの味わいと共に、一層新鮮な喜びをもってあなたの味覚と嗅覚を潤すであろう。
一瞬で末梢神経から中枢神経を通り脳髄までを潤すかのようなこの喜びは、その食事が終わるまでの全ての過程における、至高のハイライトである。小生はまさにこの最高の瞬間のために鼎泰豊に繰り返し足を運ぶといっても過言ではない。

いずれの食べ方で食する場合でも、あら熱を冷ます息づかいの音、口の中でダンスする小龍包のたゆたう音を十分に堪能すると良い。
それは十分な熱さを保ちながら客膳に小龍包がサーブされたという、高いサービスクオリティの証左である。

食事の価値は料理人だけが作るものではない。注文を聞いてくれた人、料理をサーブしてくれた人、店の管理をする人、食材を運んでくれた人、食材を作ってくれた人、そして食材そのもの、そしてそれを育んだ生態系、全てがかけがえのない要素であり、その意味で、あなたの口の中で踊る小さな小さな小龍包には、宇宙の全てが宿っているのである。

とは言え、やはり小生もまだ歩きだしたばかりの求道者である。
諸兄がそれぞれ心から満足できる小龍包と、その食べ方を見つけられる事を、真に祈念している。

朝っぱらから何を書いているのか、というツッコミはなしの方向で・・・(現在5:23)