学生から社会人になるという事 本論編

学生から社会人になるという事について、
色々な意見を聞かせてもらっています。

・自分の行動が、自分の属する組織を代表するものだと回りからみなされるようになること
(yokoさん コメントありがとうございます。)
・学生の時は答えを人に聞いて良かったが、社会人になったら自分で解を作らねばならない。
・授業に遅刻しても良かった → 時間を守らないといけなくなる

他にも
・好きなように行動して良かった → 他人を配慮しなければならなくなる
・行き当たりばったりで良かった → 計画性を持たねばならなくなる
・依存した状態から、自立した状態にならなければならなくなる
・教えてもらっていたものが、自ら学ばなくてはならなくなる
などなど。
意見を下さった皆様
大変ありがとうございました。m(_ _)m

ここで気付かされたのは、
どの項目も、実は0と1のような決定的な違いではなく、
あくまでもケースバイケースの、
緩やかな段階的変化に過ぎないのではないかということでした。

学生の時であっても、周囲の都合に配慮して行動する人もいれば、
社会人になっても自分勝手で、回りに迷惑をかける人もいる。
学生の時から自分の活躍するフィールドで結果を残そうと努力している人もいれば、
社会人になっても結果指向に乏しい人もいる。

周りとの関係についても、
学生であってもバイトをしたり、奨学金を受け取ったりして
自立している人もいれば、
社会人になっても親のスネを齧る人もいる。
学生であっても、周りに人に○○大学の代表として見られる人もいるだろうし、
社会人であっても、そう見られない場合もある。

こう考えると、
もちろん学生から社会人になれば、
色々な事がある程度変化するのだろうけれど、
学生から社会に出ると言ったところで、
それこそ人が変わってしまうような、
人生をひっくり返す程の大きな変化はないものと考えるのが
妥当であるように思えてくる。

学生と社会人には決定的な質的断絶が無いとしても、
それでは、一体それぞれの項目の変化は何によってもたらされるのか。

端的に言えば、それは消費者から生産者になるという事だと思います。
ここで、
消費とは、お金を渡して価値をもらう事で、
生産とは、価値を渡してお金をもらう事、とします。

消費者だから、お金さえ渡せば、基本的には
あとはそれによって受け取った財やサービスを好きに使って良い、
時間に遅れても平気、
好きな時にすきなことをして良い、
計画性を持たなくても大丈夫、
成果を出さなくても別にそれによる実害はない、
嫌な事はしなくて良い。

ところが、生産者は、ちゃんとしないと
自分が作った物を認めてもらえない。
つまり購入してもらえない、お金が入らない。
だから、
ちゃんとした物をつくるために時間を守らないといけないし、
生産している物がきちっと出来上がるようにするために行動が制約されるし、
計画性を持たなければいけないし、
好き嫌いとは無関係に、約束した物については成果を提出しないといけないし、
成果が提出出来なかったら、極端な場合、飢え死にしてしまう。

もちろん先に言及した通り、
これはケースバイケースの程度問題ではあるが、
一般的な傾向としては、
学生から社会人になるという事は
お金をはらって価値を消費する立場から、
価値を提供してお金を得る立場に変わる事に特徴付けられるように思える。

では、そういった変化があるのなら、
自分たちはどのように考え、行動すれば良いか。
難しい問。
長くなったので、続きは結論偏に回します。